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かさましこ 兄弟産地が紡ぐ〝焼き物語〟
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かさましこ
兄弟産地が紡ぐ〝焼き物語〟
日本遺産 認定!
「かさましこ」とは?
かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~
日本遺産に認定されたストーリー
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Topic
イベント・お知らせ
かさましこ登り窯プロジェクト・始動
2025.6.3~
お知らせ
総会開催!令和7年度始動!
2025.5.28~
お知らせ
日本遺産認定3市コラボ商品販売!!
2025.4.11~
関連商品情報
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「かさましこ“焼き”カレー推奨店」情報をWEBサイトでご紹介!
2025.4.1~
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2025.4.11~
関連商品情報
「かさましこ“焼き”カレー推奨店」情報をWEBサイトでご紹介!
2025.4.1~
お知らせ
かさましこWEBサイトの推奨店情報をリニューアルしました!
2025.4.1~
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「かさましこ“焼き”カレー推奨店」情報をWEBサイトでご紹介!
2025.4.1~
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2025.4.1~
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「日本遺産 御周印・御周印帳」を販売します!
2025.4.1~
現地体験
かさましこWEBサイトの推奨店情報をリニューアルしました!
2025.4.1~
お知らせ
「日本遺産 御周印・御周印帳」を販売します!
2025.4.1~
現地体験
かさましこ日本遺産ガイドの会が発足しました!
2024.7.31~
お知らせ
「日本遺産 御周印・御周印帳」を販売します!
2025.4.1~
現地体験
かさましこ日本遺産ガイドの会が発足しました!
2024.7.31~
お知らせ
「かさましこPR動画」をYouTubeで公開しました。
2022.2.25~
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かさましこ日本遺産ガイドの会が発足しました!
2024.7.31~
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「かさましこPR動画」をYouTubeで公開しました。
2022.2.25~
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第3回かさましこ自由研究コンテストの作品を募集します!
イベント
「かさましこPR動画」をYouTubeで公開しました。
2022.2.25~
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NEW
第3回かさましこ自由研究コンテストの作品を募集します!
イベント
かさましこ登り窯プロジェクト・参加者募集開始!
2025.7.1~8.31
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第3回かさましこ自由研究コンテストの作品を募集します!
イベント
かさましこ登り窯プロジェクト・参加者募集開始!
2025.7.1~8.31
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かさましこ登り窯プロジェクト・始動
2025.6.3~
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かさましこ登り窯プロジェクト・参加者募集開始!
2025.7.1~8.31
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かさましこ登り窯プロジェクト・始動
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総会開催!令和7年度始動!
2025.5.28~
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コラム
かさましこの日本遺産に会いに行ってきました!
コース
兄・笠間をめぐる?弟・益子をめぐる?
構成文化財
日本遺産に登録されている構成文化財をご紹介します。
久野陶園(要事前連絡)
久野陶園は安永年間(1772~1780)に久野半右衛門が創業した窯元で、笠間焼発祥の地です。後に笠間藩主の牧野貞直によって藩の御用窯(仕法窯)に指定されました。ここで益子焼の陶祖である大塚啓三郎が製陶技術を学びました。 *見学時には必ず事前連絡が必要です。 ナレーション付き解説動画【久野陶園…
益子参考館細工場
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
益子陶芸美術館
「益子陶芸美術館」では、人間国宝の故濱田庄司の作品や益子町とゆかりのある陶芸家達の作品を常設展示するほか、年に数回企画展を開催しています。 「笹島喜平館」では、棟方志功に師事した木版画家笹島喜平の作品を展示、「益子国際工芸交流館」は世界各国の代表作家や若手作家の交流事業を開催し、…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
益子参考館細工場
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
益子陶芸美術館
「益子陶芸美術館」では、人間国宝の故濱田庄司の作品や益子町とゆかりのある陶芸家達の作品を常設展示するほか、年に数回企画展を開催しています。 「笹島喜平館」では、棟方志功に師事した木版画家笹島喜平の作品を展示、「益子国際工芸交流館」は世界各国の代表作家や若手作家の交流事業を開催し、…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
笠間氏累代の墓地
笠間氏は鎌倉時代から約380年間、18代にわたって笠間の地を治めました。墓地にある大小さまざまな石碑18基は、その領主たちの墓石と考えられています。それぞれの領主の名前は不明ですが、正面中央にある欠損部分を持つ宝篋印塔が笠間氏初代である笠間時朝のものとされています。墓地は昭和9年(1934)に笠…
益子陶芸美術館
「益子陶芸美術館」では、人間国宝の故濱田庄司の作品や益子町とゆかりのある陶芸家達の作品を常設展示するほか、年に数回企画展を開催しています。 「笹島喜平館」では、棟方志功に師事した木版画家笹島喜平の作品を展示、「益子国際工芸交流館」は世界各国の代表作家や若手作家の交流事業を開催し、…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
笠間氏累代の墓地
笠間氏は鎌倉時代から約380年間、18代にわたって笠間の地を治めました。墓地にある大小さまざまな石碑18基は、その領主たちの墓石と考えられています。それぞれの領主の名前は不明ですが、正面中央にある欠損部分を持つ宝篋印塔が笠間氏初代である笠間時朝のものとされています。墓地は昭和9年(1934)に笠…
三所神社
建長2年(1250)笠間時朝により創建された神社です。宇都宮の二荒山大明神の分霊を祀っており、笠間城の鎮守を目的とした笠間の総鎮守社です。文明9年(1477)笠間城主笠間綱久が三所神社の修築完成を祈願して四神旗を寄進したとされます。笠間城は鎌倉時代に笠間時朝が築いてから約750年間、歴代の笠間領…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
笠間氏累代の墓地
笠間氏は鎌倉時代から約380年間、18代にわたって笠間の地を治めました。墓地にある大小さまざまな石碑18基は、その領主たちの墓石と考えられています。それぞれの領主の名前は不明ですが、正面中央にある欠損部分を持つ宝篋印塔が笠間氏初代である笠間時朝のものとされています。墓地は昭和9年(1934)に笠…
三所神社
建長2年(1250)笠間時朝により創建された神社です。宇都宮の二荒山大明神の分霊を祀っており、笠間城の鎮守を目的とした笠間の総鎮守社です。文明9年(1477)笠間城主笠間綱久が三所神社の修築完成を祈願して四神旗を寄進したとされます。笠間城は鎌倉時代に笠間時朝が築いてから約750年間、歴代の笠間領…
笠間城櫓
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
笠間氏累代の墓地
笠間氏は鎌倉時代から約380年間、18代にわたって笠間の地を治めました。墓地にある大小さまざまな石碑18基は、その領主たちの墓石と考えられています。それぞれの領主の名前は不明ですが、正面中央にある欠損部分を持つ宝篋印塔が笠間氏初代である笠間時朝のものとされています。墓地は昭和9年(1934)に笠…
三所神社
建長2年(1250)笠間時朝により創建された神社です。宇都宮の二荒山大明神の分霊を祀っており、笠間城の鎮守を目的とした笠間の総鎮守社です。文明9年(1477)笠間城主笠間綱久が三所神社の修築完成を祈願して四神旗を寄進したとされます。笠間城は鎌倉時代に笠間時朝が築いてから約750年間、歴代の笠間領…
笠間城櫓
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
笠間城跡(笠間城櫓・城門)
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
三所神社
建長2年(1250)笠間時朝により創建された神社です。宇都宮の二荒山大明神の分霊を祀っており、笠間城の鎮守を目的とした笠間の総鎮守社です。文明9年(1477)笠間城主笠間綱久が三所神社の修築完成を祈願して四神旗を寄進したとされます。笠間城は鎌倉時代に笠間時朝が築いてから約750年間、歴代の笠間領…
笠間城櫓
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
笠間城跡(笠間城櫓・城門)
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。 ナレーション付…
笠間城櫓
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
笠間城跡(笠間城櫓・城門)
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。 ナレーション付…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。 …
笠間城跡(笠間城櫓・城門)
承久元年(1219)に笠間時朝が佐白山周辺に築いたといわれる山城です。戦国時代末期まで笠間氏が18代にわたり笠間を治めました。笠間氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、出兵しなかったため、宇都宮氏により滅ぼされました。江戸時代、笠間藩主・牧野貞直のときに久野陶園など陶器職…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。 ナレーション付…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。 …
久野陶園(要事前連絡)
久野陶園は安永年間(1772~1780)に久野半右衛門が創業した窯元で、笠間焼発祥の地です。後に笠間藩主の牧野貞直によって藩の御用窯(仕法窯)に指定されました。ここで益子焼の陶祖である大塚啓三郎が製陶技術を学びました。 *見学時には必ず事前連絡が必要です。 ナレーション付き解説動画【久野陶園…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。 ナレーション付…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。 …
久野陶園(要事前連絡)
久野陶園は安永年間(1772~1780)に久野半右衛門が創業した窯元で、笠間焼発祥の地です。後に笠間藩主の牧野貞直によって藩の御用窯(仕法窯)に指定されました。ここで益子焼の陶祖である大塚啓三郎が製陶技術を学びました。 *見学時には必ず事前連絡が必要です。 ナレーション付き解説動画【久野陶園…
益子参考館細工場
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。 …
久野陶園(要事前連絡)
久野陶園は安永年間(1772~1780)に久野半右衛門が創業した窯元で、笠間焼発祥の地です。後に笠間藩主の牧野貞直によって藩の御用窯(仕法窯)に指定されました。ここで益子焼の陶祖である大塚啓三郎が製陶技術を学びました。 *見学時には必ず事前連絡が必要です。 ナレーション付き解説動画【久野陶園…
益子参考館細工場
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
益子陶芸美術館
「益子陶芸美術館」では、人間国宝の故濱田庄司の作品や益子町とゆかりのある陶芸家達の作品を常設展示するほか、年に数回企画展を開催しています。 「笹島喜平館」では、棟方志功に師事した木版画家笹島喜平の作品を展示、「益子国際工芸交流館」は世界各国の代表作家や若手作家の交流事業を開催し、…
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