facebook
twitter
instagram
かさましこ 兄弟産地が紡ぐ〝焼き物語〟
言語
日本語
English
中文(繁体)
toggle navigation
TOP
日本遺産ストーリー
スポット
コース
お知らせ
イベント
関連商品情報
コラム
現地体験
ライブラリー
アクセス
リンク集
利用規約
サイトマップ
かさましこ
兄弟産地が紡ぐ〝焼き物語〟
日本遺産 認定!
「かさましこ」とは?
かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~
日本遺産に認定されたストーリー
もっとみる
Topic
イベント・お知らせ
日本遺産認定記念「かさましこ推奨店」始めます!
お知らせ
「かさましこPR動画」をYouTubeで公開しました。
お知らせ
第23回 かさまの陶雛 「桃宴」
2023.1.25~3.3
イベント
「かさましこPR動画」をYouTubeで公開しました。
お知らせ
第23回 かさまの陶雛 「桃宴」
2023.1.25~3.3
イベント
【2/5開催】かさましこ日本遺産推進講演会in益子
2023.2.4~2.26
イベント
第23回 かさまの陶雛 「桃宴」
2023.1.25~3.3
イベント
【2/5開催】かさましこ日本遺産推進講演会in益子
2023.2.4~2.26
イベント
日本遺産認定記念「かさましこ推奨店」始めます!
お知らせ
【2/5開催】かさましこ日本遺産推進講演会in益子
2023.2.4~2.26
イベント
日本遺産認定記念「かさましこ推奨店」始めます!
お知らせ
「かさましこPR動画」をYouTubeで公開しました。
お知らせ
Previous
Next
もっとみる
Instagram
コラム
かさましこの日本遺産に会いに行ってきました!
コース
兄・笠間をめぐる?弟・益子をめぐる?
構成文化財
日本遺産に登録されている構成文化財をご紹介します。
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
綱神社(摂社大倉神社含む)
綱神社は建久5年(1194)に宇都宮家の菩提寺である尾羽寺の土地に建立されました。宇都宮朝綱の島流し先である土佐(現在の高知県)にある一の宮・賀茂神社を勧請したのが始まりとされています。大永年間(1521~1528)に再建されています。綱神社が管理している摂社の大倉神社本殿とともに国の重要文化財…
田中友三郎彰徳碑
笠間焼中興の祖 田中友三郎は、初めて「笠間焼」の名で茶壷を横浜へ出荷し、第2回内国勧業博覧会で入賞したのを契機に、同業者らと共進会への出品を続け、笠間焼の名を広めました。さらに、陶器製造組合や陶器伝習所を設立するなど笠間焼の振興に尽力しました。 明治33年(1900)友三郎の還暦に際し、…
益子参考館上台(旧濱田庄司邸離れ)
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
綱神社(摂社大倉神社含む)
綱神社は建久5年(1194)に宇都宮家の菩提寺である尾羽寺の土地に建立されました。宇都宮朝綱の島流し先である土佐(現在の高知県)にある一の宮・賀茂神社を勧請したのが始まりとされています。大永年間(1521~1528)に再建されています。綱神社が管理している摂社の大倉神社本殿とともに国の重要文化財…
田中友三郎彰徳碑
笠間焼中興の祖 田中友三郎は、初めて「笠間焼」の名で茶壷を横浜へ出荷し、第2回内国勧業博覧会で入賞したのを契機に、同業者らと共進会への出品を続け、笠間焼の名を広めました。さらに、陶器製造組合や陶器伝習所を設立するなど笠間焼の振興に尽力しました。 明治33年(1900)友三郎の還暦に際し、…
益子参考館上台(旧濱田庄司邸離れ)
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
益子古窯跡群(栗生窯跡群(倉見沢窯跡))
古代から益子町は笠間市とともに、須恵器(朝鮮半島から伝わった硬質の土器)作りに必要となる粘土、水や燃料となる木材に恵まれた土地でした。現在も、8世紀~10世紀にかけて使われていた13 基の窯跡が残されています。窯跡は3群に分かれており、西山・本沼窯跡群、原・境窯跡群、栗生窯跡群で須恵器の…
田中友三郎彰徳碑
笠間焼中興の祖 田中友三郎は、初めて「笠間焼」の名で茶壷を横浜へ出荷し、第2回内国勧業博覧会で入賞したのを契機に、同業者らと共進会への出品を続け、笠間焼の名を広めました。さらに、陶器製造組合や陶器伝習所を設立するなど笠間焼の振興に尽力しました。 明治33年(1900)友三郎の還暦に際し、…
益子参考館上台(旧濱田庄司邸離れ)
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
益子古窯跡群(栗生窯跡群(倉見沢窯跡))
古代から益子町は笠間市とともに、須恵器(朝鮮半島から伝わった硬質の土器)作りに必要となる粘土、水や燃料となる木材に恵まれた土地でした。現在も、8世紀~10世紀にかけて使われていた13 基の窯跡が残されています。窯跡は3群に分かれており、西山・本沼窯跡群、原・境窯跡群、栗生窯跡群で須恵器の…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。
益子参考館上台(旧濱田庄司邸離れ)
益子参考館上台は来客者の宿泊所とするために、益子町の高野家母屋を昭和17年(1942)に解体して移築したものです。もとは濱田庄司邸の離れで、完成までに約10年の歳月を要したといわれています。民藝の趣向をこらした意匠が施され、濱田庄司が益子の職人に作らせた階段箪笥などの調度品の数々が置かれて…
益子古窯跡群(栗生窯跡群(倉見沢窯跡))
古代から益子町は笠間市とともに、須恵器(朝鮮半島から伝わった硬質の土器)作りに必要となる粘土、水や燃料となる木材に恵まれた土地でした。現在も、8世紀~10世紀にかけて使われていた13 基の窯跡が残されています。窯跡は3群に分かれており、西山・本沼窯跡群、原・境窯跡群、栗生窯跡群で須恵器の…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。
陶祖顕彰碑
益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎の功績を後世に伝えようと明治12年(1879)に地元の陶器職人たちが建てた石碑です。大塚啓三郎は笠間焼に倣い、土瓶や皿鉢などの日用品を多く手がけました。碑文は元笠間藩士で儒学者の加藤桜老によるものです。
益子古窯跡群(栗生窯跡群(倉見沢窯跡))
古代から益子町は笠間市とともに、須恵器(朝鮮半島から伝わった硬質の土器)作りに必要となる粘土、水や燃料となる木材に恵まれた土地でした。現在も、8世紀~10世紀にかけて使われていた13 基の窯跡が残されています。窯跡は3群に分かれており、西山・本沼窯跡群、原・境窯跡群、栗生窯跡群で須恵器の…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。
陶祖顕彰碑
益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎の功績を後世に伝えようと明治12年(1879)に地元の陶器職人たちが建てた石碑です。大塚啓三郎は笠間焼に倣い、土瓶や皿鉢などの日用品を多く手がけました。碑文は元笠間藩士で儒学者の加藤桜老によるものです。
根古屋窯(旧益子陶器伝習所)(要事前連絡)
根古屋窯は益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎が開業した窯元です。明治36年(1903)に益子陶器業組合の設立と同時に陶器職人を養成する益子陶器伝習所が開設され、組長の大塚忠治(根古屋窯の2代目)の窯場を借り受け、彼を所長として製陶技術の教育が行われました。現在、初代陶器伝習所の建物の一部…
宇都宮家の墓所
宇都宮家の3代目にあたる宇都宮朝綱が整備した、尾羽寺に残る宇都宮家代々の墓です。豊臣秀吉による改易でお家取り潰しの憂き目に遭いますが、その後も当主が祀られ続け、初代宇都宮宋円から33代宇都宮政綱までが眠っています。石碑が33基(うち29基は五輪塔)あり、県の有形文化財に指定されています。
陶祖顕彰碑
益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎の功績を後世に伝えようと明治12年(1879)に地元の陶器職人たちが建てた石碑です。大塚啓三郎は笠間焼に倣い、土瓶や皿鉢などの日用品を多く手がけました。碑文は元笠間藩士で儒学者の加藤桜老によるものです。
根古屋窯(旧益子陶器伝習所)(要事前連絡)
根古屋窯は益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎が開業した窯元です。明治36年(1903)に益子陶器業組合の設立と同時に陶器職人を養成する益子陶器伝習所が開設され、組長の大塚忠治(根古屋窯の2代目)の窯場を借り受け、彼を所長として製陶技術の教育が行われました。現在、初代陶器伝習所の建物の一部…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。
陶祖顕彰碑
益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎の功績を後世に伝えようと明治12年(1879)に地元の陶器職人たちが建てた石碑です。大塚啓三郎は笠間焼に倣い、土瓶や皿鉢などの日用品を多く手がけました。碑文は元笠間藩士で儒学者の加藤桜老によるものです。
根古屋窯(旧益子陶器伝習所)(要事前連絡)
根古屋窯は益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎が開業した窯元です。明治36年(1903)に益子陶器業組合の設立と同時に陶器職人を養成する益子陶器伝習所が開設され、組長の大塚忠治(根古屋窯の2代目)の窯場を借り受け、彼を所長として製陶技術の教育が行われました。現在、初代陶器伝習所の建物の一部…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。
日下田藍染工房(日下田邸(染色工房併用)・藍染め甕場・草木染)
江戸時代から続く染物屋です。かつて庶民の衣類の約8割は藍染でした。藍は「ジャパン・ブルー」と呼ばれ、その色や染法は世界でも高い評価があります。日下田藍染工房では民藝運動に共感し、民藝調の藍染めをはじめとする天然染料を用いた染色(草木染)の作品を現在も作り続けています。県の有形文化…
根古屋窯(旧益子陶器伝習所)(要事前連絡)
根古屋窯は益子の窯業発展に尽力した大塚啓三郎が開業した窯元です。明治36年(1903)に益子陶器業組合の設立と同時に陶器職人を養成する益子陶器伝習所が開設され、組長の大塚忠治(根古屋窯の2代目)の窯場を借り受け、彼を所長として製陶技術の教育が行われました。現在、初代陶器伝習所の建物の一部…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。
日下田藍染工房(日下田邸(染色工房併用)・藍染め甕場・草木染)
江戸時代から続く染物屋です。かつて庶民の衣類の約8割は藍染でした。藍は「ジャパン・ブルー」と呼ばれ、その色や染法は世界でも高い評価があります。日下田藍染工房では民藝運動に共感し、民藝調の藍染めをはじめとする天然染料を用いた染色(草木染)の作品を現在も作り続けています。県の有形文化…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
西明寺(三重塔、楼門、本堂内厨子)
西明寺は天平9年(737)の創建と伝えられています。真言宗豊山派で、十一面観音を本尊とする由緒ある寺です。境内には宇都宮氏の家臣である益子氏が建立した三重塔、楼門、本堂内厨子があり、これらは国の重要文化財に指定されています。また益子焼の祖、大塚啓三郎の碑もあります。
日下田藍染工房(日下田邸(染色工房併用)・藍染め甕場・草木染)
江戸時代から続く染物屋です。かつて庶民の衣類の約8割は藍染でした。藍は「ジャパン・ブルー」と呼ばれ、その色や染法は世界でも高い評価があります。日下田藍染工房では民藝運動に共感し、民藝調の藍染めをはじめとする天然染料を用いた染色(草木染)の作品を現在も作り続けています。県の有形文化…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
綱神社(摂社大倉神社含む)
綱神社は建久5年(1194)に宇都宮家の菩提寺である尾羽寺の土地に建立されました。宇都宮朝綱の島流し先である土佐(現在の高知県)にある一の宮・賀茂神社を勧請したのが始まりとされています。大永年間(1521~1528)に再建されています。綱神社が管理している摂社の大倉神社本殿とともに国の重要文化財…
日下田藍染工房(日下田邸(染色工房併用)・藍染め甕場・草木染)
江戸時代から続く染物屋です。かつて庶民の衣類の約8割は藍染でした。藍は「ジャパン・ブルー」と呼ばれ、その色や染法は世界でも高い評価があります。日下田藍染工房では民藝運動に共感し、民藝調の藍染めをはじめとする天然染料を用いた染色(草木染)の作品を現在も作り続けています。県の有形文化…
地蔵院本堂
鎌倉時代の建久4年(1193年)に尾羽寺の阿弥陀堂として宇都宮朝綱によって創建された。室町時代永正年間(1504~21年)に改築されている。本堂は元茅葺きで現在は杮葺きの入母屋造。 春日厨子内には阿弥陀三尊像(鎌倉時代・県指定文化財)の両脇侍は、近年の研究で快慶一派作ともいわれている。堂内には…
綱神社(摂社大倉神社含む)
綱神社は建久5年(1194)に宇都宮家の菩提寺である尾羽寺の土地に建立されました。宇都宮朝綱の島流し先である土佐(現在の高知県)にある一の宮・賀茂神社を勧請したのが始まりとされています。大永年間(1521~1528)に再建されています。綱神社が管理している摂社の大倉神社本殿とともに国の重要文化財…
田中友三郎彰徳碑
笠間焼中興の祖 田中友三郎は、初めて「笠間焼」の名で茶壷を横浜へ出荷し、第2回内国勧業博覧会で入賞したのを契機に、同業者らと共進会への出品を続け、笠間焼の名を広めました。さらに、陶器製造組合や陶器伝習所を設立するなど笠間焼の振興に尽力しました。 明治33年(1900)友三郎の還暦に際し、…
Previous
Next
もっとみる
アクセス
ライブラリー
日本遺産
かさましこ 兄弟産地が紡ぐ〝焼き物語〟
令和2年度「日本遺産魅力発信推進事業」
日本遺産ストーリー
chevron_right
スポット
chevron_right
コース
chevron_right
お知らせ
chevron_right
現地体験
chevron_right
イベント
chevron_right
関連商品情報
chevron_right
コラム
chevron_right
アクセス
chevron_right
リンク集
chevron_right
利用規約
chevron_right
サイトマップ
chevron_right
TOP